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zoom RSS ゴッホと私 6 最終章

<<   作成日時 : 2014/06/02 05:52   >>

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 太陽の画家 フィンセント・ファン・ゴッホ

サン・レミの郊外にあるサン・ポール・ド・モーゾールの昔の修道院の建物が、サン・レミ脳病院である。その一室で、ゴッホは、久しぶりに自由な気持ちで創作活動を再開しました。ゴッホは、病院の近くを歩きまわって、麦畑やオリ−ブの木や糸杉を描き、その形は誇張され、線はくねり、独特の力強さを表わすようになりました。
 描かれた麦畑には、糸杉が炎のように、また、夜の風景も、星たちは渦を巻き、自然の内部の声に耳を澄ましているかのようです。しかし、すこしづつ、ゴッホの生命は死に近づいていたのです。


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 1890年、「鳥の群れ飛ぶ麦畑」を描いて、まもなく、7月27日の午後であった。一人の百姓が、畑の間を「どうにもならない、どうにもならない」と、つぶやきながらうろついているゴッホを見たという。やがて、ポケットからピストルを取り出し、自分の胸に向けて・・・。・・・29日、午前1時半、フィンセント・ファン・ゴッホは37年の生涯を閉じたのです。

 そして、最愛の理解者、弟テオも、追うように翌年の1月、ユトレヒトの精神病院で亡くなったのでした。

 追記

 ゴッホは、その生涯において数え切れない手紙を弟テオにあてて書いていました。そのなかの、ひとつ、サン・レミ時代の406より。

「仕事はうまく行っている。身体の具合が悪くなる数日前に始めた一つのカンヴァスと、今、悪戦苦闘している。<刈入れ>という全部黄色の習作だ。恐ろしく厚く描かれているが、主題は美しく単純なのである。暑熱のただなかで、仕事をやりあげようと悪魔のように戦っている一人の判然としない人間の姿、この刈る人に、ぼくは、死の影像を見ている。と言うのは、人間どもは、こいつが刈ってる麥かも知れぬという意味でだ。こんどのは、以前に試みた麥刈りの真反対だと言いたければ言ってもいいが、この死には悲しいものは少しもないのだ。あらゆるものの上に純金の光を漲らす太陽とともに、死は、白昼、己の道を進んで行くのだ。

 獄房の鉄格子越しに、こんな具合に景色が眺められるとは、我ながら妙な事だよ。さて、今ぼくが抱き始めた希望とはどんなものか、君にはわかるかな。ぼくにとっての自然、土くれや草や黄色い麥や百姓は、君にとっての家庭のようなものだろうという希望だ。と言うのは、君は人々に対する君の愛の裡に、必要とあれば、ただ人々のために働くばかりではなく、自分を慰め、自分を立て直す、何かを見つけてよろしい、という意味だ。」

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・今回をもって、「ゴッホと私」を、いったん終わりにしたいと思います。半年にわたったゴッホに関しての考察でしたが、参考文献などを見ていくうちに、ゴッホを通して、人間とは、生きるとは・・・、いろいろと考えさせられました。生きるとは、人の人生でなく、誰もが自分自身の人生を生きるしかありません。でも、人や自然との出会いが、その人の心を豊かにしてゆくのですね。ゴッホの絵は、ゴッホが生きたという証しであり、これからも、その絵と生き方は、人を引き付けるのでしょう・・・。

 「幼なじみ・・・」

先日 幼なじみの
きみに 出会いました
人生半ばを過ぎて
巡り会えるなんて

みんな それぞれの
苦しみや切なさを
抱えながら 生きてきて

すれ違いが多い
世の中で 暫し
幼なじみの
きみに出会うなんて

きみの横顔は
通りすぎて来た
長い月日の何を
語ろうとしていたのだろう

去っていく友が行くなかで
残されて行くものは
どんなおもいで
明日を生きていくのだろう

黙っていても
お互いの想いが
甦る 幼なじみ
逝ってしまった友の
想いを胸に 
たった今 生れたばかりの
出会いのように 


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
出会いは人それぞれですが、生きているからこそ、その時間は与えられるのですね。
今、ふーちゃんの記事を読んで、ふと思い返すことができました。

物的なものを生きてきた証として残すのもひとつですが、やはり人の中に、形の見えない心を残せることが、人にとって本当の至福かもしれないと思ってしまいました。目を閉じたらいつでも会えるあたたかな映像とか声とか・・・。

eri
2014/06/02 23:56
eriさん、ありがとうございます。目を閉じて、心に現われる面影が、ひとりではないんだねと・・・。だからこそ、この世に、こうして生きているときにこそ、愛を与えられる人になりたいですね。みんな愛の手のひらのなかにいるのだから・・・。
ふー
2014/06/03 19:21
ご無沙汰しております。
最近、詩を通じて色々な方と出会ったり、良い意味で刺激を受けております。
僕はいつも出会いって偶然じゃ無く必然だと想いたいので・・・その方が素敵だから
会うべきして巡り会えた、そして「自分自身の気持ちに少しずつ変化が訪れる」みたいな忘れていた感覚?そして人は、縁(えにし)を広げていく・・・
そんな出会いを僕も広げていければと思っております。
とっても共感できる作品ですね!
おむすび
2014/06/03 21:54
 詩人の目から見たゴッホ、でしょうか、
ふーちゃんのゴッホの特集記事、とても素晴らしかったです。
 芸術は、ぎりぎりのところで創り上げられるから、目にする人々に感動を与えるのでしょうね。ゴッホのように、ギリギリのところで生きる勇気、わたしに持てるかしら? 凪いだ海のような目、ベールを掛けた目からは、芸術は生まれないのかもしれない。そんなことを思いました。
 
 幼なじみは、ブランクを感じさせない不思議な関係ですね。また、いくつになっても、新たな「出会い」にも、ときめいていたいで〜す。
huko
2014/06/04 17:33
おむすびさん、ありがとうございます。そうですね。この世に偶然ってそんなにないかもしれませんね。出来事は、みな引き寄せの法則が働いているのかも。
さまざまな出会いのなかで、輝く何かを見つけたいですね。
ふー
2014/06/04 19:06
hukoさん、ありがとうございます。ふと思いました。芸術作品は、たゆみない努力とインスピレーションから生まれるのかも。hukoさんの、ツインソウルとの出会いもインスピレーションによること大ではないでしょうか。
いくつになっても、素敵な出会いが待っているということは、年齢なんて気にしないほうがいいですね。
ふー
2014/06/04 19:25

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