廃墟と私 4

 思えば、堀辰雄の「美しい村」や立原道造の「萱草に寄す」を読めば、そこでのなにげない自然の描写が美しいです。そんな静かな高原の中に佇む廃墟だったゆえ、たんなる廃墟ではなく、ひとつの人格としての風格すら覚えたのは私だけでしょうか。黙して語らずの廃墟でしたが、モーターロッジとして脚光を浴びた昭和の時代から時のなかに埋もれた平成の廃墟としての私。
 

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 今はこの世から消えてしまったのですが、解体される最後まで、潔く高原の美しい自然のなかに包まれてあったのです・・・。

 堀辰雄の「美しい村」より。

 或る小高い丘の頂きにあるお天狗様のところまで登って見ようと思って、私は、去年の落葉ですっかり地肌の見えないほど埋まっているやや急な山径をガサガサと音させながら上って行ったが、だんだんその落葉の量が増して行って、私の靴がその中に気味悪いくらい深く入るようになり、腐った葉の湿り気がその靴のなかまで滲み込んで来そうに思えたので、私はよっぽどそのまま引っ返そうかと思った時分になって、雑木林の中からその見棄てられた家が不意に私の目の前に立ち現れたのであった。

 立原道造の「萱草に寄す」より。

 夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
 水引草に風がたち
 草ひばりのうたひやまない
 しづまりかへつた午さがりの林道を

 
 そんな堀辰雄や立原道造の物語には、青春の恋人との出会いと別れが美しい自然とのかかわりのなかに描写されているのですが、私と廃墟とのかかわりの時期、顔を見ることのないネットでの幾つかの出会いと別れがありました。

 
 詩集『夢の翼』より。

  「あこがれ」

ぼくは どんよりとした雲の下
満開の桜並木には なぜか 息苦しさをおぼえてしまう
ぼくは 華やかに空を覆うように咲く桜より 
どこかの山あいに
そっと咲く 風に揺れる 山桜なんかが 好きだ
そして 山々は日々 緑を増していくだろう
山あいの村に住むきみは 何を夢みているのかな
ぼくは ただ風の音に耳を澄ませ
青い空と 流れる白い雲を 瞳に映すだろう
ただ きみへの憧れは あるがまま
そう
きみは 力強く
一歩を 踏みだすだろう
夏の訪れは
もうすぐです・・・


 そんな想い出話も、消えてしまった廃墟のように、ただ自分の心のなかに。ふりかえれば人生、誰しも自分だけの心のなかにしまい込んだ数々の楽しい出来事や切ない出来事があるのでしょう・・・。

        * * * * * * * * * *                                      

 廃墟と私の悲しい想い出です。2011年平成23年3月11日に東日本巨大地震があり福島原子力発電所の放射能漏れがありました。その年の冬は厳しく、私の愛していた一本の山桜の大きな枝が、凍りついた樹氷の重みで折れてしまったのです。

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 なぜか、それから人生、生きていくことの大変さを思うばかりです・・・。空中に飛散した放射能は、この廃墟にも届いていたのです。
 でも、木漏れ日はなにごともなかったかのようにやさしく廃墟を照らしました・・・。

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 次回に続く。

・きょうから四月、みんなそれぞれの新しい一日です。楽しい日々でありますように・・・・・。

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