あれから

 東日本大震災(平成23年3月11日)から8年。震災関連死を含めると、死者行方不明者は2万人を超えています。月日が過ぎるのは早いですね。一日一日はそれなりに、ゆっくりと動いて行くのに。
 思えば、音信不通になってしまったブログ仲間でしたが、福島県 飯野町地区北部に位置するUFOの里として知られる千貫森のことなどを紹介していました。私はそのUFOふれあい館まで3キロほど手前の立子山に行ったことが想い出されます。それは、東日本大震災から3年後の頃でした。その道すがら、ただいま除染中という小さな看板を目にしました。福島原発からはそこまでは約80キロほどとのことでしたが、田舎ののんびりとした風景はのどかでした。どうしても、東日本大震災の前と後では、人生観が変わってしまったように思う自分ですが・・・・。過ぎ去って行く日々は一度しかない今であるということ・・・・.。
  東日本大 震災後、妹と母が亡くなってしまったことも、大きな出来事でした。平成25年と平成26年の出来事でした。でも、平成29年に長女が結婚したことは、喜ばしい出来事です・・・・。そして、平成31年もやがて令和元年。令和の言葉は、万葉集の「梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文」の一部にあります。

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 時、初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。(しょしゅんのれいげつにして、きよくかぜやわらぎ、うめはきょうぜんのこをひらき、らんははいごのこうをかおらす)
 
 そう、今年も庭の梅の花が咲き・・・・、今は桜の季節です。話は変わり、十日ほど前にアダプタが壊れ、注文で届いたので、久しぶりにパソコンに向かっているのですが・・・・。世の中、スマホやパソコンがなければ暮らしていけなくなってしまったのですね。もし、今、世の中からスマホやパソコンが消えてしまったらいったいどうなってしまうのでしょう。こうしたブログも、顔を会わすことのないブログ仲間の一人でも見ていただければ幸いです。


   『あれから』

あれから
幾年月が過ぎたのだろう
学生時代は 遠い昔

社会人となった頃の
右も左もわからない
七転び八起きの日々

いつのまにか
人生半分が過ぎたのに
人生百年とするなら
まだまだ先はあります

就活で悩む姿に
なぜ そんなに焦って
いるのかな

既卒になってから
正社員として
就職しようとしても
なかなか難しいと

昭和 平成・・・・
時代は令和となり

少子高齢化ではありますが

誰もが 壊れた時計にサヨナラをして
新しいきょうという
一日の始まりです
・・・・・


この記事へのコメント

2019年04月22日 19:21
ふーちゃんへ

お久しぶりです。

あれから8年がたったのですね。なんだか私の中では、まだ2~3年くらいしかたっていない感じです。あまりにも被害が深刻過ぎて。鉄道が復旧したニュースを目にした時は、涙がこぼれました。帰りたいのに帰れませんとつぶやきつつ、故郷の福島の桜を、現地にいながら、降りることのできないバスの中から眺めている人のニュースを目にした時も・・・。

様々なことのあった平成。もうすぐ令和ですね。あと少しの平成ともうすぐ訪れる令和。ともに、生きてゆく時を大切にしながら、日々を歩んでいきたいですね。そんな共通の心は、PCがなくとも、通じ合えるかけがえないものであるような気がします。日々、どうぞお元気で。
2019年04月22日 19:57
eriさん、ありがとうございます。その後、体調には気をつけて、きょうは晴天の一日でした。eriさんのコメントには、いつもほっとします。不思議です。顔を会わすことのないネットでの会話ですが。かけがえないものを感じることが出来るって、それだけで生きている幸せです。誰も未来はわかりませんが、生きてゆく時を大切にしながら、日々を歩んでいけたら。eriさんも、元気な毎日を・・・・。
2019年07月13日 11:51
ふーちゃん、ご無沙汰しています。
お身体の方はいかがでしょうか。
お忙しい毎日だと思います。
これから暑くなります。
どうぞご自愛ください。ブログの更新楽しみにしています。

ふーちゃん
2019年07月15日 10:14
fukoさん、コメントありがとうございます。身体の方はだいぶ落ち着いて来ました。ブログを更新しなくてはと思うのですが・・・・。fukoさん、元気で何よりです。ウェブリブログが新しくなり、使い勝手が、まだ、なじめません・・・・。気持玉なんか良かったですね。fukoさんも、お身体を大切に。

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