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zoom RSS 賢治童話と私 11 「どんぐりと山猫」

<<   作成日時 : 2014/09/01 20:07   >>

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  おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。

   かねた一郎さま 九月十九日
   あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
   あした、めんどなさいばんしますから、おいで
   んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
                   山ねこ 拝

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 で始まる、この童話「どんぐりと山猫」は、あまりに有名なお話ですね。

  一郎は、足もとでパチパチ塩のはぜるような、音をききました。びっくりして屈んで見ますと、草のなかに、あっちにもこっちにも、黄金いろの円いものが、ぴかぴかひかっているのでした。よくみると、みんなそれは赤いずぼんをはいたどんぐりで、もうその数ときたら、三百でも利かないようでした。わあわあわあわあ、みんななにか云っているのです。

  山ねこが叫びました。

「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」別当が、むちをひゅうぱちっと鳴らし、どんぐりはみんなしずまりました。山猫が一郎にそっと申しました。

「このとおりです。どうしたらいいでしょう。」一郎はわらってこたえました。

「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」山猫はなるほどというふうにうなずいて、それからいかにも気取って、繻子のきものの胸を開いて、黄いろの陣羽織をちょっと出して、どんぐりどもに申しわたしました。

「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」

 どんぐりは、しいんとしてしまいました。それはそれはしいんとして、堅まってしまいました。

  * * * * * * * * * * *

 一郎の山猫拝の裁判にたいする助言は、「ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」という、どうでもいいような意見でした。思えば、人に偉いも偉くないもないのか知れませんが、社長や大臣や校長先生なんか、なんか肩書きがあると偉いのでしょう。

 
 その「どんぐりと山猫」の最後の場面ですが、「どうもありがとうございました。これほどのひどい裁判を、まるで一分半でかたずけてくださいました。どうかこれからわたしの裁判所の、名誉判事になってください。これからも、葉書が行ったら、どうか来てくださいませんか。そのたびにお礼はいたします。」
 
 「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでしょう。」
 一郎はわらって言いました。
「さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめたほうがいいでしょう。」
 
 山猫は、どうも言いようがまずかった、いかにも残念だというふうに、しばらくひげをひねったまま、下を向いていましたが、やっとあきらめて言いました。

 「それでは、文句はいままでのとおりにしましょう。そこで今日のお礼ですが、あなたは黄金のどんぐり一升と、塩鮭のあたまと、どっちをおすきですか。」

 一郎はお礼に黄金のどんぐりを望み、

 「さあ、おうちへお送りいたしましょう。」山猫が言いました。二人は馬車にのり別当は、どんぐりのますを馬車のなかに入れました。
 
 ひゅう、ぱちっ。
 馬車は草地をはなれました。木や藪がけむりのようにぐらぐらゆれました。一郎は黄金のどんぐりを見、やまねこはとぼけたかおつきで、遠くを見ていました。
 
 馬車が進むにしたがって、どんぐりはだんだん光がうすくなって、まもなく馬車がとまったときは、あたりまえの茶いろのどんぐりに変わっていました。そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も、一度に見えなくなって、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持って立っていました。
 
 それからあと、山ねこ拝というはがきは、もうきませんでした。やっぱり、出頭すべしと書いてもいいと言えばよかったと、一郎はときどき思うのです。

 * * * * * * * * * * *

 「一郎と山ねこ」

出会いは突然
やってきますが
別れは 
伏線があって
ああ あのときの
態度や ひとことが
原因で あったのでは
と おもうのです

一郎と山ねこ拝との
別れの原因として 
一郎は
出頭すべしと書いてもいいと
言えばよかった
と ときどきおもうのです

自分も 過ぎし
人生において
あのとき あんなことを
いったり あんなことを
しなかったら 
別れはなかったのでは
と おもうのです

きっと そのときどきの
何かが 相手の気分を
わるくしたり
相手が 引いて
しまったのでしょう

でも ひとときでも
その出会いが
しんけんだったら
それ以上 悩む
ことはないのでしょう

出会いと別れは
いつも背中合せですから
何がよくて 何がわるいか
わけのわからない
ところもあるでしょうが

これらのちいさなものがたりの
幾きれかが おしまい
あなたのすきとほつた
ほんとうのたべものに
なることを


・希望に満ちていた若かった頃が、遠い昔に思えます。歳を重ねるごとに苦しみばかりだとしたら、生きていることの楽しみって何だろうと思ってしまいます・・・。賢治童話が、いつになっても色あせないのは、賢治自身が若くしてこの世を去ったからかも知れません。でも、幾つになっても、賢治童話に共感できることは幸せではないでしょうか。移りゆく世のなかで、趣味でもなんでも、心をひらいて感じられる何かがあればいいですね。はや長月です・・・。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
ふーちゃんさま、こんばんは。
涼しくなってホッとしますね。
年齢とともに、切なさや寂しさが増していくような気がしますが、ありがとうという気持ちが元気を取り戻させ、怖さを和らげてくれるように思います。
 私はクリスチャンでもなく、何教の信者でもないのですが、朝、ありがとうの祈りを捧げています♪
 ふーちゃんにとっての宮沢賢治、そのかかわりの深さを思い、わたしは学生時代に勉強し損ねた「ワーズワース」を読み返してみたくなりました。彼の全作品が掲載された一冊の洋書を、30代半ばに捨ててしまったのです! 目の覚めるようなブルーの素敵な洋書でした。
 こんなふうに啓発されるのも、ふーちゃんの詩への情熱のおかげです! 
 
huko
2014/09/04 19:21
hukoさん、ワーズワースってロマン派の詩人で、魂の深奥の歓喜の世界を表現しているといいます。どこか、hukoさんに通じるものがありますね。
また、ありがとうという言葉はいいですね。hukoさん、ほんとうは、年齢なんて気にしないほうがいいのですね。ゆっくりとした歩みですが、ともに楽しく元気でありたいです・・・。
ふー
2014/09/05 17:47
ふーちゃん、こんばんは。

年齢を重ねるごとに、知らなかったことを知り、また、ことによっては知りすぎた故に悩むことも出てくることも多かりしですよね。でも考えていたらきりがないなとも思うようになりました。ありきたりですが、元気でいられることを喜び、そして心を和らげてくれる出会いに感謝しながら、ことこつとその日その日を生きていきたいと思います。そして、これからも言葉の好きな人間として、おたがい、心に響く言葉に一つでも多く出会えたらいいですね。
eri
2014/09/06 00:35
eriさん、ありがとうございます。人生を乗り切るこつは、こつこつとその日その日を生きることにつきますね。また、eriさんの詩ですが、eriさんのあたたかなおもいややさしい気持ちが巧みな語彙によって表現され、いつも心地よいです。詩を感じられたり、詩を表現できるっていいですね。
ふー
2014/09/06 06:31

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